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生き様


12/11(金)雨~晴れ~雨

雨上がりの、むあっとした温風にびっくり。
今、冬だよねえ。。。

玄関前に散らばった枯れ葉を集める。(銀杏や欅など)
白い山茶花の花びら発見。
風で散ってしまったのね。
その瑞々しい色や形に胸が躍る。
(今夜は新月か。。。)

近所をお散歩していると、あちこちで枯れ葉掃除を
している人を見かける。
家の裏の大きな銀杏の木も、ほとんど葉を落としてしまった。
(裸樹のシルエットも好き。)


おととい、あの本を読了したけれど、その日の日記には記せず。
気持ちが落ち着いてきたので、整理しておこう。

『中村勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて』波野好江著/集英社

歌舞伎役者である中村勘三郎が、うつ病回復から食道がんになり、
手術成功後、肺の病気であるARDS(急性呼吸窮迫症候群)を発症。
妻の波野好江さんが献身的に支え、共に生きた131日が記されている。

勘三郎は病床で復帰を信じて台詞を発したり、踊りを手先で
舞っていた。
その生命力の強さに、医師らも励まされ続けたという。

回復の道が断たれ、最後の手段で二人の息子(勘九郎・七之助)から
肺を移植してもらう方向で進んでいたのだけれど、脳内出血を起こし
帰らぬ人となった。
57歳で亡くなるとは、円熟期を前にして、残念でならない。
(彼はコクーン歌舞伎や平成中村座など、アバンギャルドな歌舞伎や
 江戸の芝居小屋の復活など、歌舞伎の発展に尽くしてきた。)

好江さんは、あとがきの中で「あの時こうしていたら」という思いが
止まないと記している。
確かに、がんは放射線治療でしっかり取り除くことができたので
その後、さらに手術をする必要がなかったのかもしれない。
(手術が元でARDSを発症してしまったらしい。)

その決断は、勘三郎自身が息子の襲名公演に間に合うようにと
出したものだった。

どんなに医療技術が進歩しても、人には寿命というものがある。
おいらの中には、最期まで生き抜いた波野哲明というひとりの
人間の生き様が残った。
そして、好江さんと一心同体で歩んできた人生を羨ましく思った。

魂の片割れを失うのがどんなに辛いことか。

幸い、二人の息子たちの活躍は目覚ましく、
勘三郎も、自分の闘病中に息子らが中村屋を背負って
舞台に立っていることを嬉しく思っていたのだそうな。

命は、親から子へ、子から孫へと紡がれてゆく。
中村屋の役者魂は、脈々と受け継がれてゆく。

自分の運命を受け入れて、死ぬまで生きる。懸命に。
おいらもそのように生きます。生かされている限り。


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